おばあちゃんの我楽多箱

今年66歳、起業を夢みながら、カウントダウン中~☆   幾つになっても毎日が発見!!    シニアの私が頑張れること、試してみたいことの日常を綴っています。   

大好きな従姉の家族の話~

2006年03月02日

大好きな従姉の家族の話~
私には、5歳違う従姉がいます。ちょとバスを乗り継いでの、近くの市に住んでいるのですが、数年前よりALSをわずらい始めました。
最初は、本人も気づかず電話のやり取りの時に、「あれぇ~。どうしたん、風邪でも引いたの?」とかすれた声が気になり始めました。

本人はストレスか、更年期障害かなと思っていました。私も病院行きを勧め何となく、そうかな、心配だなと思い、でもあんまり当人に不安感があってはと「失語症じゃない?きっと高貴なのよ」なんて美智子妃殿下の失語症のようなものと安心させたり・・・

当初行った病院はやはり、ストレスが原因との処方で、たいした治療はされませんでした。また、声の出るトレーニング療法のようなことをしたり・・・・だんだん、症状が悪化して初めて阪大病院を受診しました。
その時、私と叔母も同席したのですが、結果を聞いたのは従姉の旦那さんでした。
きっとALSと認定されたのでしょうが、旦那さんはショックを与えたくないので、隠していたみたいです。

年に数度会ううちに、これは重大な進行性のある病気と思いましたが病名を知らない私はでも、いつか直るようにも思ったり・・・ある日会って、ビックリしました。もう会話は交わされません。初めて病名を知りましたが、本人には今も伝えてません。

献身的な介護で発病以来、5年以上はもうなっています。
病気になる前いえ、もっともっと子どもの頃から従姉は5歳年上の憧れのお姉さんでした。私は戦後のどさくさ生まれで当時は、日本も親戚の家などで身内同士が居候するなどよくあることで、小学1年生から5年生までは従姉の家でお世話になっていました。

子どもの頃の5歳は、ものすご~く離れて感じ、私にとっての従姉は姉という反面、もう大人のような存在。どこに行くにもついて周り時には足手まといで、遊びの場所で泣く泣く帰された事もありました。どんどん、大人になってキレイになっていく従姉は本当に憧れでした。

とてもスポーツが得意で綺麗で従姉を崇拝する男性もたくさん・・・そんな場所にも私はくっついて行ってました。♪
私は小さく何にも出来ず怖がりで、何でもこなす従姉は本当に崇拝の存在。
子ども扱いだった私も、私が結婚した頃からは私のよき相談相手。また従姉からみても私は頼りになる存在になっていました。仕事のことなどはよく従姉にアドバイスを求められ、私は従姉が憧れの存在でしたが、従姉は私の読書好きなどが、親から見習いなさいと言われていて、「子どもをそういう風に躾けたかったのよ」といわれ、私は子どもを従姉のように活発に躾けたいと思っていたのです。

お互いにないところを補い合い、結婚してからは益々従姉にはよくしてもらいました。
女姉妹がいない私達は、実の姉妹のように思っていました。従姉のところに出かけると必ず、惣菜を買ってくれます。忙しい私が楽なように子どもの物から、旦那さんのお酒のあて、義母のお土産まで。義母に可愛がってもらえるようにと時々は義母への心づくしもしてくれました。
そんな大好きな従姉が倒れてもう、数年になります。

私は今までしてもらった以上に、従姉のところに通っては従姉の家族の側に寄り添います。従姉とは意思の疎通や会話が出来ません。それでも私の話し声、我が家のすったもんだ劇の話をすると笑みがこぼれます。私はその笑みの中にいつも、美しく憧れていた面影を感じています。
そして、昨年従姉家族にもう一つの試練~。
それは、従姉の長男が骨髄性白血病に見まわれてしまったことです。
でも幸い、ドナー提供者が3名も見つかり、適合した方の骨髄移植も無事終わり徐々に快方に向かっている事は大変ありがたいことです。

私は若い頃、献血をしていたのですが高血圧の薬を服用するようになり、献血は中止に注意
でも、今は治験参加で少し医療貢献です。でも治験データーが出てからも市場に薬品が使えるようになるまで、2年もかかるそうなのです。医療の進歩で少しでも難病の方が、良くなって欲しい道のりは遠いですね。
私は臓器提供ドナーカードに登録しました。
そのきっかけは、ホームステイしていたオーストラリアの学生さんのが所持していたからです。
残念なのは年齢とともに、頑丈な??身体も多少ガタが来て、ダンダン提供するところがなくなりそう・・・ガ-ンなことです。

今日は骨髄バンク提供のリンクを教えていただいたので~
アナタの善意を~
大好きな従姉の家族の話~


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完食野菜(2008-05-24 22:22)


Posted by ライラのママ at 21:28│Comments(4)
健康について~♪
この記事へのコメント
きららでご一緒させていただきました!

従姉さんは本当に頑張りやさんなんですね。そんな頑張っておられる姿は、方向は違ってもいつまでも憧れの存在なのではないでしょうか? 以前、リハビリテーションの病院で歯科衛生士を勤めていました。体の状態が変わっても、家族に愛されている方は幸せなんだとその時感じました。自分が病気にかかると迷惑かな・・・なんて思いますが、もし家族がたとえ指一本になったとしても愛情を持って一緒に頑張りたいと思っています。でも、実際そうなると、今わたしが想像できないような大変さがあるのですよね。本当に従姉の旦那様にもトム君のママさんにも頭が下がります・・・。
今まで、献血が怖かったのですが、自分の出来ることから始めてみたいと思いました。
本当にありがとうございます!
Posted by りょうちゃん at 2006年03月04日 07:48
うわ~りょうちゃん、久しぶり~♪
時々、HPを眺めては頑張ってるなって思ってましたよ~。鹿児島にも行かれてたのね!?
私も、2月28日に以前言っていた店舗収得しましたが、やりたい事はマダマダこれからです。地域の「しゃべり場」目指したいのですが、それだけではローン返せないので色々考えなくては・・・^^
其処が準備できると、りょうちゃんのシフォンケーキも紹介して行きたいのでよろしく!!
子育てサロンのママ友もいるので、是非紹介して行きたいです。
HPはリンクさせてくださいね^^
※りょうちゃんのアレルギーに対応した「お米のシフォンケーキ」も立派な社会貢献ですよ~★
私は社会貢献するものがないので、カラダで・・・爆

ドナー登録も海外の学生さん、当たり前みたいで私が「日本で事故にあっても提供するの」って聞いたら、もちりんだって!
「両親は悲しまないの」って言うと「、仕方のないことだから~国では18歳までは親が提供するかどうか、選び18歳になったら自分で選ぶから」だって、宗教心とお国柄の違いですね。
Posted by tomumama at 2006年03月04日 12:00
どうも^^ブログへのコメントありがとうございます。

従姉さん、闘病生活頑張ってらっしゃるんですね。身近な人が病気になると、色々考えてしまうものですよね。これからどうなるのか・・・私に何ができるのか・・・。

うちの母も、以前長期入院をしました。幸い、命に別状はなく現在リハビリをし、少しずつですが回復に向かっています。母が倒れ、皆 動揺をかくせませんでしたが、家族や周りの人達で見守り、今では普通に生活する程度まできています。
お医者さんもビックリの回復力でしたが、本人が、病気と戦う気持ちがここまで母を元気にさせたのだと思います。
従姉さんも、病名を知らされていなくても、今 自分と向き合い、病気と闘っているんでしょうね。
母のことを機に、今後の医療への貢献を考えさせられている今日この頃です。
tomumamaさんの、従姉さんを思う気持ち、しっかり通じてると思います。これからも頑張ってください!
Posted by テリー at 2006年03月06日 09:08
テリーさん、有難うございます。
身近に筋萎縮や白血病の身内が居るようになるまでは、難病の方のことはぼんやりとした存在でしたが、自分も含めて健康や自分に出来る事など考えるようになりましたね。

※お母様の病気、テリーさんの支えもあって回復されたのですね。私も実母を3年ほど介護しました。高齢だったので亡くなりましたが、その後、自身の年老い方を考えるきっかけにもなり、今後、自分が出来る事を考え中です。
Posted by tomumama at 2006年03月06日 13:35
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