当初行った病院はやはり、ストレスが原因との処方で、たいした治療はされませんでした。また、声の出るトレーニング療法のようなことをしたり・・・・だんだん、症状が悪化して初めて阪大病院を受診しました。
その時、私と叔母も同席したのですが、結果を聞いたのは従姉の旦那さんでした。
きっとALSと認定されたのでしょうが、旦那さんはショックを与えたくないので、隠していたみたいです。
年に数度会ううちに、これは重大な進行性のある病気と思いましたが病名を知らない私はでも、いつか直るようにも思ったり・・・ある日会って、ビックリしました。もう会話は交わされません。初めて病名を知りましたが、本人には今も伝えてません。
献身的な介護で発病以来、5年以上はもうなっています。
病気になる前いえ、もっともっと子どもの頃から従姉は5歳年上の憧れのお姉さんでした。私は戦後のどさくさ生まれで当時は、日本も親戚の家などで身内同士が居候するなどよくあることで、小学1年生から5年生までは従姉の家でお世話になっていました。
子どもの頃の5歳は、ものすご~く離れて感じ、私にとっての従姉は姉という反面、もう大人のような存在。どこに行くにもついて周り時には足手まといで、遊びの場所で泣く泣く帰された事もありました。どんどん、大人になってキレイになっていく従姉は本当に憧れでした。
とてもスポーツが得意で綺麗で従姉を崇拝する男性もたくさん・・・そんな場所にも私はくっついて行ってました。♪
私は小さく何にも出来ず怖がりで、何でもこなす従姉は本当に崇拝の存在。
子ども扱いだった私も、私が結婚した頃からは私のよき相談相手。また従姉からみても私は頼りになる存在になっていました。仕事のことなどはよく従姉にアドバイスを求められ、私は従姉が憧れの存在でしたが、従姉は私の読書好きなどが、親から見習いなさいと言われていて、「子どもをそういう風に躾けたかったのよ」といわれ、私は子どもを従姉のように活発に躾けたいと思っていたのです。
お互いにないところを補い合い、結婚してからは益々従姉にはよくしてもらいました。
女姉妹がいない私達は、実の姉妹のように思っていました。従姉のところに出かけると必ず、惣菜を買ってくれます。忙しい私が楽なように子どもの物から、旦那さんのお酒のあて、義母のお土産まで。義母に可愛がってもらえるようにと時々は義母への心づくしもしてくれました。
そんな大好きな従姉が倒れてもう、数年になります。
ALSについて
ALSとは「筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic laterALSlerosis)」の略称で、脳と脊椎にある運動の神経細胞(運動ニューロン)が選択的に障害されることで感覚や自律神経はそのままに、身体の自由が利かなくなり進行すると呼吸することも困難になる難病です。
ALSは神経繊維が破壊されることにより、筋肉が縮み、身体を動かすことの出来なくなる最終的に死に至る進行性の病気です。
現在、原因が究明されていないことから老若男女、誰にでも発病する可能性があり、診断後わずか3-5年でなくなってしまう難病です。
全世界で毎年13万人の方が亡くなっており、日本でも現在約7000人程の患者がいます。
患者数が少なく患者の余命も短いことから、研修資金が集まりにくく、原因の究明と治療法が未だ見つかっていません。
( 社会貢献プログラムとは、現代社会の様々な問題に取り組むNPOやNGOを対象に、情報配信サービス『プレスブログ』において活動支援を実施するプログラムです。)ALSという難病を理解していただくように配信しています。
http://www.prize4life.org/jp/
私も大好きな従姉の病の原因が一日でも早く解明され、多くの患者がこの苦しみから救われることを願っています。